【金スマ】三國清三はどんな人?経歴や家族構成、お店について調査!

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フランス料理シェフの三國清三さんが、テレビ番組【金スマ】に出演されます!そこで、三國さんがどんな方なのか、これまでの経歴や、家族について、また、三國さんのお店についても調べてみましたので、ぜひ参考にしてください。

三國清三さんはどんな人?

プロフィール

生年月日:1954年8月10日

出身地:北海道留萌支庁管内増毛町(ほっかいどう るもいしちょうかんない ましけちょう)

職業:シェフ

「オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフ
「ソシエテミクニ」代表取締役
日本フランス料理技術組合代表
2013年11月7日フランスのトゥール大学より「美食学」の名誉博士号を贈られる

引用元:Wikipedia

出身地の読み方、難しすぎませんか?(笑)
北海道には難読の地名が多いですが、三國さんの出身地も例に違わないですね(笑)

三國清三さんの経歴

今や自身のお店を構える三國さん、彼にどんな経歴があったのか、どこで修行されてきたのか、気になりますよね!
これからまとめていきますので、是非ご覧ください!

三國さんが料理について学び始めたのは早く、中学校卒業後からでした。

札幌・南16条の米店に住み込みで働きながら、夜間の調理師学校に通っていました。

札幌グランドホテル


16歳の時にまかないで食べたハンバーグに感動しハンバーグを作る料理人になろうと決意されたそうです。
米店の人から「ハンバーグといえば札幌グランドホテル」だと聞き、同ホテルで開催されたテーブルマナー講習に参加し、そこで料理課長の青木保憲氏許しを得て料理人の修行を開始

三國さんは中卒ですが、修行を始めてから半年後には正社員になっています。それだけ努力されて、認められたのでしょうか?

テーブルマナー講習をきっかけに料理課長と掛け合って、料理人の修行が始まるというのも、なんとも意外な展開ですよね。
当時の料理課長も若干16歳の少年から料理人の弟子入りの話をされるとは思っていなかったのではないでしょうか??
料理人になる一番初めの段階はあまり詳しくありませんが、異例のような気がしますね。

帝国ホテルからスイスの大使館料理長へ

1971年、札幌グランドホテル総料理長である斎藤慶一氏に紹介状を書いてもらい、帝国ホテルへ就職

1973年、帝国ホテル就職後約2年、当時20歳で、帝国ホテル料理長村上信夫氏の推薦により、スイス・ジュネーヴの日本大使館(軍縮会議日本政府代表部)の料理長に就任します。

大使館勤務の傍らフランス料理界で有名な

「ジラルデ」のフレディ・ジラルデ
トロワグロ兄弟
アラン・シャペル


らに師事しています。


たった20歳で大使館の料理長に推薦され、就任とは…
修行を始めて4年、です。あまりにも早いですね。それだけ三國さんには熱意があり、才能と、努力する気概を持ち合わせていたということでしょう。

後に、三國さんを大使館料理長へと推薦した村上がこう語っています。

「三國君は私が総料理長だった当時、札幌グランドホテルから帝国ホテルに志願してやってきた。正社員の枠がなく、パートタイマーで採用したが、やる気があって、よく気がつく男だった。何にでも一生懸命で、良い意味での「欲」があった。駐スイス大使への赴任が決まっていた小木曽さんが「専属コックにいい人はいないか」と打診してきたとき、頭に浮かんだ何人かの候補者の中から、私は三國君を選んだ。当時、三國君はまだ20歳の若者、しかも帝国ホテルでは鍋や皿を洗う見習いだったため、料理を作ったことがなかった。では、なぜ私は三國君を推薦したのか。彼は、鍋洗い一つとっても要領とセンスが良かった。戦場のような厨房で次々に雑用をこなしながら、下ごしらえをやり、盛りつけを手伝い、味を盗む。ちょっとした雑用でも、シェフの仕事の段取りを見極め、いいタイミングでサポートする。それと、私が認めたのは、塩のふり方だった。厨房では俗に「塩ふり3年」と言うが、彼は素材に合わせて、じつに巧みに塩をふっていた。実際に料理を作らせてみなくても、それで腕前のほどが分かるのだ。」(村上信夫著『帝国ホテル厨房物語』



料理という繊細な仕事ゆえに、普段の行動から実力や熱意が見えてくるんですね。
しかも、大使館で勤務をしながら、フランス料理の修行も行っています。
とてつもなくパワフルで、周りから認められても研鑽を怠らない努力家なのですね。

修行から、自身の店の開業

三國さんは1978年には大使館を退勤して引き続きフレディ・ジラルデの元で修行しています。

1980年には3つ星レストランの

「トロワグロ」
「オーベルジュ・ドゥ・リィル」
「ロアジス」
「アラン・シャペル」


にて修行を重ねています。

1982年にとうとう帰国し、市ヶ谷にある「ビストロ・サカナザ」でシェフとして迎えられます。

3年後の1985年、東京、四谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業。
オーナーシェフとなります。


2022年12月28日37年間営業した「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店しています。

以降受賞歴等

  • 1996年アジア12ヶ国最優秀シェフ12名を決定するコンテスト”ボンラック・グレート・シェフズ・オブ・アジア賞”を日本代表の最優秀シェフとして受賞。
  • 1998年、ルレ・エ・シャトー協会の「世界のトップシェフ60人の一人」に選ばれ、ロサンゼルスにて饗宴
  • 1999年フランス・ボジョレーにてルレ・エ・シャトー世界5大陸トップ・シェフ5人の一人に選ばれる
  • 2002年日本フランス料理技術組合の子供への食育活動の功績が認められ、2002年度食品産業技術功労賞「特別賞」を受賞
  • 2004年ギリシャ・シェフ協会、認定名誉会員に選出
    「立ち上がる農山漁村」有識者会議の一員に選出
    「ニューズウィーク日本版」2004年10月20日号「世界が尊敬する日本人100 Japanese」の一人に選出
    「オテル・ドゥ・ミクニ」が、食品衛生優良施設として厚生労働大臣表彰を受賞
    内閣総理大臣より「知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会」の委員に任命
    社団法人北海道ウタリ協会より「北海道白老アイヌ食文化大使」の称号を授かる。
  • 2010年フランス農事功労章オフィシェ章を受勲
  • 2013年11月7日、フランスのトゥール大学より「美食学」の名誉博士号を贈られる
  • 2015年、フランス共和国レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章
  • 2020年、著書『JAPONISÉE』で世界唯一の料理本に対する賞「グルマン世界料理本大賞2020」を受賞
  • 2022年、著書『スーパーの食材でフランス家庭料理をつくる 三國シェフのベスト・レシピ136 永久保存版』が「第9回料理レシピ本大賞 in Japan」のプロの選んだレシピ賞を受賞

三國清三さんの家族構成は?

三國清三さんは久美子さんという方と結婚されています。
三國さんより慎重も高くスマートです。

なんと医者の娘さんだとか。
裕福で小さい頃からレストランによく行っていたそう。

三國さんは一度奥さんにパリで本場のレストランの勉強をさせています。
しかしうまくいかなかったようです。

帰国してから、久美子さんは京都の料亭の女将の接客をみて、自分なりの接客をすればいいことに気づき、吹っ切れたのだとか。


お二人には娘さんがいらっしゃいます。

お名前が三國珠杏(みくにじゃん)さんです。

慶応大学卒で

2023年には31歳です

2015年に一般男性と結婚しており、結婚式の際、三國シェフが料理を振舞ったそう。
家族に一流のシェフがいるとこういうこともできるのですね!!
とても幸せな式になったと思います。

三國清三さんのお店について

三國さんの経営するお店は以下のものがあります

オテル・ドゥ・ミクニ(四ツ谷)閉店中
カフェ ミクニズ(四ツ谷)
ミクニ ヨコハマ(横浜)
ドメイヌ・ドゥ・ミクニ(軽井沢)
メゾン ミクニ(オンラインショップ)
ミクニ ナゴヤ(名古屋)
ミクニ サッポロ(札幌)
ミクニ マンスール(麹町)
ミクニ マルノウチ(丸の内)
ミクニ 清水(静岡)
ラー・エ・ミクニ(竹橋)
旬穀旬菜 レストラン&デリカフェ(梅田)
フラテッロ ディ ミクニ上川(上川)
祇園 ミクニ(祇園)

引用元:オテル・ドゥ・ミクニ公式サイト

残念ながら本店である「オテル・ドゥ・ミクニ」は閉店してしまっています。しかし、現在も営業しているお店もありますので、惜しい気持ちはありますが、そちらに赴くとよいでしょう。

最後に

若い頃から料理人という厳しい世界で腕を磨いてきた三國清三さん。
そんな三国さんがこの度テレビ番組【金スマ】に出演されます!
なんと三國さんの半生を再現ドラマ化するのだとか。

加えておすすめレシピを教えてくださるコーナーもありますのでとても楽しみですね。

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